映画鑑賞感想文 貞子vs伽椰子
貞子vs伽椰子をみた。見たのは2016/06/27のレイトショー。最寄りのイオンシネマで上映してくれたので、行き帰りが楽だった。雨降ってたけど。
監督は前にもこのブログで紹介した、白石くん。
コワすぎシリーズをはじめ、ノロイ、カルト、オカルト、テケテケといった良い意味でB級ホラーを生み出してきた人。貞子vs伽椰子は、こういった作品の辿りつく先にあるものなのだろうと思わされた。ネタバレは控えるが、とても面白かった。そしてある意味感動した。もはや枯渇してしまったのか、と思わされていたJホラーを見事に復活させてくれた。ありがとう、白石くん。
そもそもこの作品はとあるエイプリルフールネタから始まった企画である。
これがその時の画像。黄色になっている文字だけ読むとエイプリルフールになるという画像。しかし2016年夏まであわせてきたのはさすがというべきか。この作品のうまいと思ったところが宣伝である。最近の"貞子シリーズ"や正規の呪怨ではない、終わりの始まりやザファイナルといったものは、完全にかつてのホラー路線から外れていた。貞子も伽椰子も、アメリカのゾンビ映画ばりにバンバンと画面に出してくるのである。しかも彼女らがもはやモンスター、化け物となり、呪いを受けたものと戦うのである。だからゆえに、この二人(+としお)はキャラ化されてしまった。今回の映画の宣伝も、完全に二人を"ホラー映画のキャラ"として確立させて行っていた。始球式をしたり、政見放送のような映像を流したり、TwitterやInstagramにキャラ化した"てい"で宣伝したり。こういった宣伝を見ると、多くの人は、「貞子vs伽椰子って呪いあう(物理)映画なんでしょーwww」となる。まあ当然だ。これがうまい。そうやって、怖いもの見たさ加減を強めて与えている(もはや怖いもの感は大きく失われているだろうが)。そうやって映画館に連れて行くのである。そして映画が始まってから衝撃を受けるのだ。なんや、ガッチガチのホラーやんけっ!、と。その通り。ガッチガチのホラーなのである。普通に驚いた。そして嬉しかった。Jホラーの二大看板ヒロインなので、構成がミルフィーユ状になるのは仕方ないし、絡みが少しなことも、オチがあれなのも最初からわかっていたが、まさかここまでかつての日本のホラー映画を取り戻してくれているとは思いもしなかった。その様子は正統派"リングシリーズ"や昔の"呪怨シリーズ"を思い出さしてくれる。全体的にリング寄りだったのは少し残念だが、呪いの形態が異なりすぎるので、そこは仕方ない。そんなものを差し引いても面白かったし、素晴らしかった。白石くんがまさかここまでやってのけるとは思わなかったよ。かつてのホラーにあった、"静"、"闇"、"水"といった条件をすべてクリアしている。コワすぎを作りながらこんなところまで考えていたとはっ!である。白石くんには、コワすぎといった、マニアック界隈で受けるようなホラーを作りつつも、万人受けするホラー大作を作ってほしい。ましてや今回の作品をきっかけに、もっと彼が世に出てくれれば嬉しいと思う次第である。
書くことに意義がある
なんか、何にしても続かんからこの流れを今この瞬間に断ち切る。
研究なんてその80%は枝葉をつけたようなものだし、そのうち40%は間違っている。間違っていたことに対してこれほど責めるのはお門違いである。研究とは99のミスの上に成り立つのだ。早稲田大学での博士論文コピペ問題は、確かに悪質というか、むしろ審査側が杜撰だと感じた。だがまあこうやって”研究ミス”を指摘し続けている人間は本質を理解していない。研究費の8割はドブに流れるのだ。また彼女の一連の流れから大きな新しい発見は誰かによって必ず成し遂げられるだろう。別にSTAP細胞の有無の問題では無い。この歴史を隠ぺいし、葬り去る必要はない。エーテル実験と同じだ。教科書に正しい行いとして載せるべきだ。
こけなくてもそれは銀魂そのものが面白いからではなく、小栗旬がかっこいい、またはこの作品の演出がおもしろいから、という感じに流されそう。空知はとっととこの作品を終わらせるべき。鼻くそ食ってる暇なんてねえんだよ。
もうめんどくさいから費用内に入れていいよ。総理大臣やってるんだから別にいい。その辺のサラリーマンの5億倍大変だから良い。これにごちゃごちゃ文句言うあたり、国民の心は腐ってるんだと思う。貧乏って怖い。たとえば舛添元都知事の件は額の大きさ、使用用途があからさまに外れているので言及されるのは仕方ない。この場合はたかがコンビニで買った軽食なのだ。そのへんの一般庶民とは違うのだから当然の話。まあ、このご時世、なんでもかんでもはっきり決めたい人間が多すぎる故、確かに明確に線引きする必要はあるだろうが。
髪切ってさっぱりした。
全然
書いていなさすぎて震えた。まあ毎日絶望の日々なので書くことなんて読書感想文か映画鑑賞感想文ぐらいなんですわ。ということでこれからこの記事は今までの感じプラス、私の知識をインプット、アウトプットする場所にします。よろしく候。
なお基本的にWikipediaに書いてあることをそのまま打ち込んでいるだけなのでよろしく候。
旅行に
行く。明日にいく。いや厳密には今日だ。まだ何にも用意してないし、寝てない。起きれるか不安だ。まあ、また写真をあげる。無事に帰ってこれたら、ね。
えいがえいが
映画。
残穢を観た。原作は未読。著者が小野不由美ということでそんな気はしていたが、案の定、ホラーではなかった。ホラーよりの、ホラーチックな、ホラー感のある、ミステリだ。いやまあそんな気はしていたのだけれど。穢れに触れると伝播する、触穢(そくえ)と呼ばれる概念を書いた作品。この言葉1つで説明される。むしろこの言葉自体がネタバレな気がしてきた。しまった。ミステリだから、先を読みたくなる。あれこれ考えながら見ることが出来た。そうはいっても、この手のものは、結局なんだっていい。家だったり、携帯電話だったり、VHSだったり。そういう意味では、数あるホラー作品を、ミステリという形で包み込んでいる作品とも思えた。橋本愛がかわいいので、彼女を見るだけでも価値のある作品。
やたら脅かして来たりする映画ではないので、そういったホラーが苦手な方もぜひぜひ。
映画なんて
見た。映画を。
オデッセイを観た。原題は"The Martian"。というか、字幕で見ていたから、というだけの理由かもしれないが、なぜ日本語のタイトルはオデッセイなのだろうか。原作小説も"火星の人"だ。なんで?
まあとにかく、この映画は結果よりも過程を楽しむ映画。それを楽しめる人なら見るべきだと思う。ネタバレというほどでもないけど念のため、以下ネタバレ。
正直やたら面白いかといわれると、そうでもない。結果は読めているし、そこまでハラハラするシーンも少ないからである。ただ、主人公が植物学者(not real science)というところが大きなポイントで、彼がどのようにして、地球に帰還するか、というところに関心を抱いてみるべきである。生還することはわかっているのだから。またこれが植物学者でなかったらどうするかというのも気になる。そういえばしょっぱなから微グロだった。耳がちょん切れたり身体がバラバラになったり自身の足首をサビサビの糸鋸でごりごりするよりも、こういった腹に空いた少しの傷穴をほじってぐりぐりするほうがグロいし痛い。痛々しい。しかしまあ宇宙とは広いということに気づかされた。火星なんて、太陽系内にしたって地球から近いほうなのに、この絶望感である。ああ、そういえば、もう少し改善してほしい点としては、やはり主人公の内面を書き出してほしかった。希望と絶望の狭間で葛藤して、そのうえで希望に向かう、たとえどんな逆風でも。的な感じにしたほうが良かったのではないかと思う。というのも、かなり最初に、生を決意し、そこからはかなり楽観的というか、決して楽観的というわけではないのだろうけれど、植物学の知識をもってすれば全然へっちゃらだぜ、みたいな感じがすごく、全然絶望感が無いように思えてしまった。原作がどうなっているのかは、読んでいないのでわからないけれど、そういう内面の心情推移をもう少し見たかった。
とはいえ、面白い映画であることは違いない。
本
本を読んだ。まあ、本を読むことでどうにかなるわけでもない。
- 作者: エラリー・クイーン,越前敏弥
- 出版社/メーカー: 角川グループパブリッシング
- 発売日: 2009/01/24
- メディア: 文庫
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エラリー・クイーンの作品を読んだ中で、悲劇シリーズから入る人はどのくらいいるのだろうか。これが正攻法だったのかはわからないが、エラリー・クイーンの作品はいずれ読まなければならないと思っていたし、いたるところでも有名な作品であるために知っておくべきである、とも思ったので手に取った。いろいろな人が言っている通り本格派ミステリーと呼ばれるものである。感想としては、面白く、読んで後悔のない作品だった。詳しくは書かないが、核心は書くかもしれない。以下ネタバレ。
当然あらすじなどは面倒なので書かない。犯人の検討はついてはいたが、2つ目の事件があのような内容であったことや、殺された人間が4人目の共同作業者であることなど、見落としまくっていた。あげく、第三の事件で被害者が示したダイイングメッセージの意味にもきづけなかった。まあ、だからゆえに、最後のページでその意味が書かれている文章を読んだときには、思わず声が出てしまった。本を読んでいて思わず声が出てしまうことなどなかなか久しぶりである。切符を切る、車掌ごとにその形は異なる、彼の形は十字である、といった文章はしっかり頭の中に残っていたのだが、なぜか気づかず、読みながら自分でもそのダイイングメッセージを再現していた。いやしかしドルリー・レーンというのは読唇術を使えるという。舞台で華やかだったころは当然耳も使え、そのような技は持っていなかったであろう。短期間でそういったことを習得したり、可能なパターンの論理的筋道をたてて、そこから非現実的選択肢を排除していく様は、(素人)探偵として当たり前であるが、華麗である。いろいろな人の感想を見ていると、日本国内ではそこそこの評価であり、次作のYの悲劇のほうが好きという人もいる。国外では圧倒的に今作が(悲劇シリーズで)最高傑作であるという評価を受けているみたいだ。さらに言うと、書き方がうまいと思う。惹きつけるのだ。途中、だれるところもあるが、後半の解決に向かうシーン、そして全ての謎が収束されていく様は見事といっても過言では無い。とても高度で、高級なミステリー、推理小説だと感じることが出来た。私もハムレット荘で暮らしたい。