そんな与太話
やたらと憂鬱だ。もう人生諦めているのかもしれない。それでも勝手に頭は働いてしまうものなのか。
斜め屋敷を読んだ。御手洗シリーズ第二作目。御手洗と石岡が出てくるのが遅すぎる作品であった。その分、二人が出てきたときは、餌をお預けされた犬が許可を与えられた状態の様になっていただろう。トリックについてはまったくわからなかったし、花壇の件もわからなかった。ただ、塔のガラスに蒸着させて作られたガラスを用いるのだろうとは思っていた。また、日下の件についても、そうだろうと思っていた、あと、部屋の室温にも引っかかってはいた。そんなトリックがいつかどこかの作品であったような気もしたからである。いやしかし、第一、第二の密室トリックは自身ではわからなかったし、解答を見て驚愕、納得した。ある意味、占星術の時より、シンプルかつ大胆だとも思う。コナンといい、御手洗といい、最近はミステリーに嵌ってきているのかもしれない。
だとしたら、重力波もバンバン出るのだろう。ジェットも一杯出してくれると、高エネの人としてありがたい。
水の神殿。しかし水中都市というのはなぜこれほどまでに魅力的なのだろうか。マリオの水中ステージは嫌いなくせに。
ドレイクの方程式ほど、ロマンに満ち溢れる一方、成り立ちを知ると、つまらなく見えるものは無いと思う。単に楕円軌道をしていて、観測者側に周回物質が近づいている結果、大きな壁のように、光を長時間遮っているだけではなかろうか。
人間の器官なんてとっくに調べつくされているものだと思っていたがどうやら違うようだ。これが本当にそうなら、カーボンナノチューブは超自然的なものということになる。他の動物にもあるかどうか、調べてみてほしい。
全然関係ないが、結局この宇宙は微小な揺らぎが全てな気にさせられてしまう。それはInitial Condition が全てといっても過言ではないわけである。だがそんなのつまらないとも思ってしまう。これを前提に持つ研究者は、結局、初期条件探しに躍起になる。しかし物理学を学び研究することとはその機構、メカニズムを知り、理解し、考察することではないだろうか。Fine Tuning をして、リアルに近ければ喜ぶ、などナンセンスだ。
相手に理解できるように話すことイコール自分の、今伝えたいことを伝える
わけではないとは思う。言葉は伝達ツールなのだから、言い換えれば伝われば何でもいいわけである。コミュ力コミュ力といっているが、別に言葉を発さなくても、実際に動いて、手を動かして伝われば何の問題も無い。必要であれば話せば良い。もちろん、好かれたい相手にこれをするのはいかがなものかとは思うが。噛み砕いて伝達する力の一方、相手の言葉を読み理解する力も相手側には存在している。どこに持っていけば一番上手くいくかを知れるのは、普段の付き合いなのだと思う。
実はこれは面白い話だと思う。というのも、過去に戻れたらヒトラーを殺すと言っている人たちは、過去に戻っても未来は変わらない説を支持しているからだ。因子として殺していると言うなら全人類を殺さなければならない。未来が確定した今、未来が不確定な時期に行って、ヒトラーを殺すと、本来殺人犯でなかった自分は殺人犯になるわけだ。つまり過去に戻ることで未来を変えている。これは先の説と矛盾するので、過去に戻ってもそのヒトラーが同じ歴史を繰り返すとは言い切れないのだ。
いや、こんなこと書いている場合ではない。もうすごく辛い。