文章作成とか、日記とか、忘備録とか。

文章を書くブログ。ついでに日記だったり、忘備録だったり。

もう一冊

本を読んでいた。過去記事には無かったはずなので書く。後で見直してあれば消しておこう。

20歳からの人生の考え方

20歳からの人生の考え方

 

わりかし当たり前だったり、そうでなかったりと色々なことが書いてある。一番の良かったポイントは、手前で説明された内容が、後の章に再びさらっと書かれていることだ。言葉が足りず申し訳ないが、この書き方は非常に素晴らしいと思った。言い換えると全ての項目は核の部分で繋がっているとでも言えるだろう。

 

今日は泊まりだろうな。しんどすぎる。

 

 

本を読んだ

本を読みました。

 

好きになられる能力 ライカビリティ 成功するための真の要因 (光文社新書)

好きになられる能力 ライカビリティ 成功するための真の要因 (光文社新書)

 

 パッととった本がこれだっただけなのだが、他人から好かれたいと思われてしまいそうだ。内容はまさしく他人から嫌われず、好かれることを目指したものになっている。著者が言うように何が正しいか、は横においている上で書かれているので、非常に良いと思う。勿論、これが人間関係の絶対的な攻略本というわけではないだろうが、知っていることも知らないことも、文字から受けることで、改めて新しい感覚となることであろう。またこの本は期間を置いて何度か読み直すことで、さらに大きな効果を得られると思う。

 

研究がつらい。はやくやめてしまいたい。

 

そんな感じ

本を読んだよ。

 

母性 (新潮文庫)

母性 (新潮文庫)

 

 湊かなえの母性を読んだよ。思うのだが、これは母娘に限った話ではないのではないだろうか。この本で表現されているのは一例で、その他の関係性であっても形は違えど、こういったことは起こるのではないだろうか。もちろん、話中での表現や出来事自体は、大げさというか、そこまでするか、というものが多々あったりするが、それぐらいの勢いで書いてくれることで、より納得感が出てくるのであった。人間、何を考えているかなど、誰にもわからないのである。誰かの見ている赤色と、自分が見ている同じ部分の赤色が果たして同じように見えているかなど、わからないのである。だからこその人間であり、人生なのだ。それを改善しようとすることも愚かなのであろう。

内容量は薄いが、アプローチから、内容を膨らましているような作品だと思い、またそれも含めて、面白い作品だった。

 

最近は心が死んでいる。生きることに頭が回らない。心を保つことで、一杯一杯なのだ。どうすればうまくいくのだろうか。どうしても譲れないことは、人生の中で1つぐらいあるものだ。それとの関係というのは、いくら自分がうまくしようと思っても、不確定要素というものは常に潜んでいる。それを全て薙ぎ払って進むことは、出来ないのであろうか。そんなこんなで、心が疲弊している。

 

疲れるなあ。

 

 

浅い夜

電車が止まったと思って外に出たら、電車のドアが閉まり、前方車両は進行方向へ、後方車両は進行方向とは逆方向へ、時速180kmで走っていってしまった。そしたら駅のホームへ拳銃を持った軍人達が乗り込んできて、周辺の一般人に発砲するではないか。私も巻き込まれそうになりながら逃げていたが、このままでは殺されると思ったので、隙を突いてある軍人の上に圧し掛かり、拳銃を奪って頭を打ち抜いた。後はもう生きたいという一心で銃を撃ちまくっていた。銃弾のメカニズムや残数なんかはよく知らないが、最終的に生き残れた。それと引き換えに40の死体が出来上がった。その場にいた人は全員死体となったので、まだこのことは誰にもばれていない。だがばれたらきっと死刑になるだろう。その推測に震え、恐れ戦いた。そしたら奥から人生を折り返したぐらいのおじさんが来て「お前、気に入ったよ」と言われた。こいつに気に入られてもばれたら死刑なのである。だったら今ここでこいつも殺すしかない、そう思ったとき、「俺に任せろよ。何とかしてやるぜ」と言った。藁にもすがる思いだった私は、それを信用した。なんせ彼はどうやらマフィアのボスだそうだ。「この死体、海外に売り飛ばしてくるわ!」そういって近くの公園の土を掘り出した。なぜか私は不審に思わずその行為を眺めていた。そのとき「うわっ、死体やん」という声がした。年配のサラリーマンだった。やばいと思い作業を中断し、マフィアのボスと私は死体を担いで近くの倉庫まで逃げたのだった・・・。

っていう今日見た夢の話。ちなみにマフィアのボスは北野武、サラリーマンはメッセンジャーの黒田でした。

 

gunosy.com

観測できない以上、理論でしか正体を推測することは出来ず、推測の域を出ないことになってしまう。そもそも重力以外に相互作用が無い、というのも簡単には想像できない。

 

jp.reuters.com

これは意外。クリックホイールがそもそも廃れていたからそう思ったのかもしれないが。まあ侵害された側からすれば、いくら相手が大企業であろうと、勝って当然なのだろう。そりゃそうだ。

 

woman.infoseek.co.jp

私は男だが、SMAPが好きである。個人プレーの集合がチームプレーとなっているところが素晴らしいと感じる。あれぐらいの距離感こそが、心地よいと思う。

 

記事としては貼らなかったが、SEALDsさん達について(綴りあってるっけ?)。法案を賛成だ反対だ言うのは自由だし、デモも他人の邪魔にならない範囲であれば自由である。そこに対して何も思ってなどいない。では、万が一法案が棄却され、当分、もしくは半永久的にこの類の法案は通さないことになったとしよう。SEALDsさん達の目標は達成されたわけだからこの団体の存続意義は消えてなくなるわけである。そしたらさっさと爆破解体してくれるだろうか。皆が皆というわけではないだろうが、私はそうは思わない。この事実を意味もなく自慢げに語り、肩書きとしてずっとそのタグをぶら下げ、あげく正義の名の下に鉄槌を下すような連中も必ず出てくる。創価オウム真理教(現アレフ)と同じ道をたどる予感がする。ましてあれだけの大人数なのだから、そういった因子を持った人間が紛れ込んでいてもおかしくは無い。正義をどう捉えるかは人次第だし、自由だが、正義を振りかざした団体は、もはや一種の凶器だと思っている。案が通れば、これからも撤廃運動の方向に力を注いでくれるだろう。そのほうがなぜか安心である。つまり、たとえ案が棄却されてもそこに彼らの入り込む余地は存在しないのだから黙って暮らしていってほしい。そんな勘違いヒーローが生まれないことを切に願っている。

 

 

懐疑的

SPECの結を観たい。天までは観たのに結を観ていないことについこの間気づいた。すっかり忘れていた。まあ忘れるぐらいならたいしたことではない、という考え方も一理あるが、思い出してしまったのだから、知的欲求は騒ぎ倒す。しかし周辺にレンタルうビデオ屋が無いという状況。買うほどではない。どうしよう。

 

smhn.info

私からすると、いよいよ人間とロボットの境界が無くなってきた、と言える。まあ原義に立ち返れば別に無くなって等いないのであるが。人間は別の人間の真似が出来るが、これでロボットの物真似も出来るようになると思うと、胸がざわめく。逆も然り。それはともかく、人間にとっての便利や豊かさとは人それぞれであり、技術の発展に必ずしも比例するとは思わない。言い方を変えると、やはり技術は限界にきていると思う。だからこそのブレイクスルーなのだが。

 

www3.nhk.or.jp

単純に怖すぎる。4~5人もいて止めようとする人はいなかったのだろうか。これほどに気持ちが同じなら、世界平和も目前だな。

 

www3.nhk.or.jp

緊急用のシステムで不具合とはもう救いようが無い。これに言えた話ではないかもしれないが、クラウドサービスの1番怖いところは、やはり手元に情報源が無いことだ。もちろん、皆それをわかっているのであろうが。内容の重要性を取っ払うと、クレジットカードに似ている気がする。手元にそれは無いのだが、画面や数字上でモノが動く。そしてそのモノを管理しているのは、名も知らぬ人。普通に怖い。とはいえ今の世の中、クラウドは必須である。

 

便利になるというのは、誰からも便利なのだ。こんな言葉を使ってる時点で私も他人に対して懐疑的なのだろう。

 

タイトルは無い

9月である。朝夕は涼しいが、昼間は暑い日々だ。世界陸上もとうとう終わってしまった。ようやく重い腰を上げ、作業や仕事に取り組むようになった。取り組まなければならない状況になった。ところでこの間、東京に行かなければならない日があったのだが、閉塞感と嫌悪感をひどく覚えてしまった。なぜ東京とはああもいやらしい場所なのだろうか。もしかしたら、というかかなりの可能性で来春から東京で生活しなければならないのであるが、嫌である。ひたすら嫌である。あんな機械仕掛けの心臓などに住みたく無い。いっそ檸檬でもおいて、爆破してしまおうか。

 

gunosy.com

3Dの需要はまだあるのだろうか。ホログラフィーならまだしも。

 

ああ、気になるニュースすら無い。アンテナが萎れているんだな。普段、どんな小説でもどんな映画でも泣かないのだが、とある音楽を聴いていると涙がこみ上げてきた。まあ、堪えたから涙は流れていないのだが。昔聴いていた音楽を久しぶりに聴くと、そのときの映像が頭の中で流れる。そういう意味で音楽とはある種の記憶復元装置だと思う。

 

 

朝と夜の涼しさ

もう涼しくなってきている。夏が終わろうとしている。困る。高校野球も既に準決勝である。またこれも夏の終わりを告げる1つとなってしまっている。困る。残されたのは世界陸上ぐらいである。これが終わってしまうと、いよいよ死ぬしかない。困る。なんせ、何も進んでいないのだ。いろいろひっくるめて、何も前進していない。これはまずい。どうすればよいものか。

 

gunosy.com

皆が良く知っている学力よりも生きる力を優先するべきなら、まず、大学なんて行かなくても良い、昔の社会に戻すべきだ。中学、もしくは高校を卒業した時点で働いたほうが生きる力は、大学卒の人間より、つくはずだろう。では学校というのは生きる力を身につける場所なのか。時代が変わるにつれ、社会で生きていくために求められる力が変わるのは当然である。では、今の制度を変えて、時代にあったものばかり学ばすことがよいのだろうか。時代は、時には数年で変わる。ある時代のみに特化したことばかり教えるとして、その人は時代の変化についていけるのだろうか。大切なのは、どんな社会、どんな時代でも通用するような思考力を学ばせることだと思う。そこには暗記も必要だ。検索すれば出てくるというが、そもそもその知識を知らずに検索して、話題にするより、もともと知っていて(記憶していて)、確認の意味で検索するほうが、話題にするにしてもスムーズで、気持ちが良い。筋違いかもしれないが、検索して出てくる言葉や論理、知識、その他全てのことは、誰かが自分の知識知恵を基に、インターネット上に書いたから出てくるのである。インターネットが新しいことも古いことも全て知っているわけではない。暗記なんていらない、そんな社会になって100年後、200年後のインターネットを覗くと、今の社会のみが保存されているかもしれない。

 

sp.universal-music.co.jp

久々に、素直にかっこよく洗練されている、好きな曲だったので紹介。曲作り、というよりは表現力の化物な気がする。

 

headlines.yahoo.co.jp

難しい。確かに亡くなった人や遺族からすれば許せない話だが、てんかんを持っているということ自体を見逃すわけにはいかない。無罪とまではいかないが、罪は軽くなるべきだ。もちろんてんかん持ちであることを本人が知っていたとしても。てんかんを持っている人には免許書を渡さないべきかどうか、という議論はよくある。もちろん危険なので発行すべきではない。ただ、その理論が通るなら、てんかん以外にも適用するべきだ。持病持ちから風邪をひいている人間まで。全てに不確定要素がある。なにもてんかんに限った話では無いということだ。こうなると、車という制度を変えたほうが良いのではないだろうか。もっと安全で、人間による不確定要素の入り込む余地が無いほどのものを作るべきでは。まあ、そうなれば、その新しい制度の部分にまた問題が出てくるのであろうが。

 

炭酸がおいしい。これは太りそうな予感。